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13件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1996-03-25 第136回国会 衆議院 厚生委員会 第6号

一九七九年十二月に、日本遺族会から戦没者遺児に対する個別給付にかわる戦没者遺児記念館仮称建設要望が出ます。一九八四年十月に、やはり日本遺族会厚生省からの調査費補助を受けまして、基本構想案をまとめます。その後、一九八七年十二月、戦没者遺児記念館に関する懇談会座長向坊隆、これは厚生大臣私的諮問機関、俗に言う向坊委員会、こう申しますが、懇談会ができまして、そして中間報告を出します。

土肥隆一

1995-10-31 第134回国会 参議院 厚生委員会 第1号

今回の見直しは、平成四年八月、歴史学者も参画された戦没者遺児記念館基本計画案検討委員会八木哲夫座長でございますが、において取りまとめられました基本構想に沿って、その具体化を図る過程において関係各方面からの御要望や御意見を踏まえ、施設性格については基本的に変更することはなく基本構想の一部見直しが行われたものでございます。  

佐々木典夫

1995-05-19 第132回国会 参議院 予算委員会 第20号

そして、もともとこの計画戦没者遺児記念館(仮称)ということでスタートしたものであります。そして、私はこの当初の構想にかかわってまいりました。たしか昭和五十年代の初めからであったと思いますが、戦没者遺族遺児方々の中から、自分たち父親の死がむだ死にではなかったということの国としてのあかしが欲しいという声が全国的に起きてきた時期がございます。

橋本龍太郎

1995-03-10 第132回国会 衆議院 厚生委員会 第5号

佐野(利)政府委員 確かに先生から御指摘いただいたような状況が見られるわけでございますけれども、多少振り返って経緯を申し上げさせていただきますと、平成四年に戦没者遺児記念館基本計画案検討委員会というようなところからこの遺児記念館についての基本構想基本計画が提出されまして、これを踏まえまして平成五年度の予算においてその建設計画予算化されたわけでございます。

佐野利昭

1995-02-21 第132回国会 衆議院 予算委員会第四分科会 第2号

佐野(利)政府委員 今先生からお話がございましたように、この建物につきましては、平成四年に戦没者遺児記念館基本計画案検討委員会から提出されました基本構想計画を踏まえまして、平成五年度予算においてその建設が認められて、現在その建設準備を行っておりますが、その建設に当たりまして、デザイン等に対します地元の住民の反対あるいはその展示事業内容等に対するいろいろな御意見等がございまして、現在はまだ着工に

佐野利昭

1994-06-21 第129回国会 参議院 予算委員会 第18号

政府委員土井豊君) まず、戦没者追悼平和祈念館仮称)の経緯でございますけれども昭和五十四年に日本遺族会から厚生大臣に対しまして、戦没者遺児に対する個別給付にかわる戦没者遺児記念館こういったものの建設要望が提出されました。  その後、昭和六十年七月に戦没者遺児記念館に関する懇談会設置をされまして、昭和六十二年十二月に中間報告をいただいた。

土井豊

1993-11-09 第128回国会 衆議院 厚生委員会 第2号

昭和五十四年十二月に財団法人日本遺族会から戦没者遺児記念館(仮称建設要望が提出されました。厚生省は、これに調査費をつけまして検討委員会をつくります。そして、昭和五十九年十月に基本構想案なるものが提出されます。そして、昭和六十年七月に厚生大臣は、私的諮問機関である戦没者遺児記念館懇談会座長向坊隆さん、諮問機関を置きまして、六十二年十二月に中間報告を取りまとめます。  

土肥隆一

1988-05-12 第112回国会 参議院 内閣委員会 第8号

戦没者遺児記念館構想というんですか、何かそういう構想があるというふうに思うわけです。そういたしますと、この厚生省構想による事業といいますか記念館、そこでやる資料の収集とか展示とかの事業と今度のこの法律によってやろうとする平和祈念事業、同じような性格のものが重複するような感じもあるわけでありますけれども、この点はどうされるおつもりなんでしょうか。まず厚生省の方から伺いたい。

野田哲

1988-05-12 第112回国会 参議院 内閣委員会 第8号

ども構想として持っております戦没者遺児記念館は、戦没者遺児に対する慰藉を主たる目的としているものでございます。一方、平和祈念事業特別基金は主としてシベリア抑留者恩給欠格者在外財産喪失者に対する慰藉に重点を置いているものと理解しておりますので、目的が異なるものと基本的に考えております。

新飯田昇

1988-04-28 第112回国会 衆議院 内閣委員会 第9号

田口委員 次に、これはちょっと本法案から直接には離れますけれども厚生大臣私的諮問機関であります戦没者遺児記念館に関する懇談会中間報告というものが六十二年の十二月に出されているわけですね。これは戦没者遺児を初めとする国民の労苦の風化を防ぎ、戦争歴史を客観的、具体的に後世代に伝え、平和を祈念することを目的とする戦没者遺児記念館設置が提言をされておるわけです。  

田口健二

1986-04-10 第104回国会 衆議院 社会労働委員会 第11号

森本委員 時間が参りましたので、遺児記念館についてはぜひ平和への記念館であっていただきたいことをお願い申し上げますと同時に、最後に厚生大臣に私の要望としてお願いをしておきたいわけでございます。  永住帰国をしていた中国の元日本兵の方が一たん五十八年に日本へ帰ったわけでございますけれども、そのまま今度は中国へ帰って、そして亡くなった。

森本晃司

1985-04-18 第102回国会 衆議院 社会労働委員会 第16号

どうか、だれもが本当に反戦、平和を考えることのできる記念館なればこそ、私は遺児記念館だというふうに思う次第でございます。  援護局の方への質問は以上で終えさせていただきます。大変急いでの質問ばかりでございましたけれども。  それから年金局長、わずかの時間しか残っておりませんでして、今までお待ちいただきまして申しわけございませんでした。  

森本晃司

1985-04-18 第102回国会 衆議院 社会労働委員会 第16号

大戦父親を亡くされまして、一方、終戦直後恩給停止というような事情があって、大変苦労された遺児方々から、要するに国の慰謝を求める運動昭和五十四年ごろ盛り上がったわけでございますが、日本遺族会はこの運動を受けとめまして、要するに社会情勢等をお考えになってこの運動を昇華させて、遺児が経験した苦労を再び繰り返さないように、具体的に言えば再び戦争が起こらないように、平和を願う気持ちを何かあらわすために遺児記念館

入江慧

1985-04-18 第102回国会 衆議院 社会労働委員会 第16号

それから、この数年間、平和祈念総合センターの基本的な問題の調査遺族会に託してこられましたが、私も遺児の一人でございまして、遺児記念館を建てるというふうな話を伺い、今日まで期待してきたわけですけれども、この平和祈念総合センター、スタートは遺児記念館というふうな形でスタートしているんだと思いますが、今日までの経過を御説明いただきたいと思います。

森本晃司

1985-04-16 第102回国会 衆議院 内閣委員会 第10号

熊代説明員 戦没者遺児記念館構想に関する御質問でございますけれども昭和五十四年ころから、今次大戦父親を失いました遺児の間で、父親を亡くしまして大変に困難な状況に置かれた、しかも昭和二十一年から二十八年までは遺族扶助料、つまり軍人恩給がストップされたということでございまして、非常に教育が必要な時期に十分な教育も受けられなかったりして、特に戦争によって厳しい被害をこうむっているのではないか、そういうことで

熊代昭彦

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