1996-03-25 第136回国会 衆議院 厚生委員会 第6号
一九七九年十二月に、日本遺族会から戦没者遺児に対する個別給付にかわる戦没者遺児記念館一仮称一建設の要望が出ます。一九八四年十月に、やはり日本遺族会が厚生省からの調査費補助を受けまして、基本構想案をまとめます。その後、一九八七年十二月、戦没者遺児記念館に関する懇談会、座長向坊隆、これは厚生大臣の私的諮問機関、俗に言う向坊委員会、こう申しますが、懇談会ができまして、そして中間報告を出します。
一九七九年十二月に、日本遺族会から戦没者遺児に対する個別給付にかわる戦没者遺児記念館一仮称一建設の要望が出ます。一九八四年十月に、やはり日本遺族会が厚生省からの調査費補助を受けまして、基本構想案をまとめます。その後、一九八七年十二月、戦没者遺児記念館に関する懇談会、座長向坊隆、これは厚生大臣の私的諮問機関、俗に言う向坊委員会、こう申しますが、懇談会ができまして、そして中間報告を出します。
今回の見直しは、平成四年八月、歴史学者も参画された戦没者遺児記念館基本計画案検討委員会、八木哲夫座長でございますが、において取りまとめられました基本構想に沿って、その具体化を図る過程において関係各方面からの御要望や御意見を踏まえ、施設の性格については基本的に変更することはなく基本構想の一部見直しが行われたものでございます。
そして、もともとこの計画は戦没者遺児記念館(仮称)ということでスタートしたものであります。そして、私はこの当初の構想にかかわってまいりました。たしか昭和五十年代の初めからであったと思いますが、戦没者遺族の遺児の方々の中から、自分たちの父親の死がむだ死にではなかったということの国としてのあかしが欲しいという声が全国的に起きてきた時期がございます。
○井出国務大臣 この施設は、日本遺族会の御要望を契機として検討が始まり、その後、数多くにわたって多くの有識者の皆さんの検討を経て、平成四年の戦没者遺児記念館基本計画案検討委員会の基本構想・基本計画を踏まえ、平成五年度予算においてようやくその建設が認められたという経緯がございます。
○井出国務大臣 本施設につきましては、戦没者遺児記念館としての検討を行う過程で、広く国民の合意が得られるよう、幅広い視野に立った検討を行うために、これまで各界の有識者から成る委員会等を数次にわたり開催して、広く有識者の皆さんの意見を伺ってきたところであります。
○佐野(利)政府委員 確かに先生から御指摘いただいたような状況が見られるわけでございますけれども、多少振り返って経緯を申し上げさせていただきますと、平成四年に戦没者遺児記念館基本計画案検討委員会というようなところからこの遺児記念館についての基本構想・基本計画が提出されまして、これを踏まえまして平成五年度の予算においてその建設計画が予算化されたわけでございます。
○佐野(利)政府委員 今先生からお話がございましたように、この建物につきましては、平成四年に戦没者遺児記念館基本計画案検討委員会から提出されました基本構想・計画を踏まえまして、平成五年度予算においてその建設が認められて、現在その建設準備を行っておりますが、その建設に当たりまして、デザイン等に対します地元の住民の反対あるいはその展示事業の内容等に対するいろいろな御意見等がございまして、現在はまだ着工に
○政府委員(土井豊君) まず、戦没者追悼平和祈念館(仮称)の経緯でございますけれども、昭和五十四年に日本遺族会から厚生大臣に対しまして、戦没者遺児に対する個別給付にかわる戦没者遺児記念館、こういったものの建設の要望が提出されました。 その後、昭和六十年七月に戦没者遺児記念館に関する懇談会が設置をされまして、昭和六十二年十二月に中間報告をいただいた。
昭和五十四年十二月に財団法人日本遺族会から戦没者遺児記念館(仮称)建設の要望が提出されました。厚生省は、これに調査費をつけまして検討委員会をつくります。そして、昭和五十九年十月に基本構想案なるものが提出されます。そして、昭和六十年七月に厚生大臣は、私的諮問機関である戦没者遺児記念館懇談会、座長は向坊隆さん、諮問機関を置きまして、六十二年十二月に中間報告を取りまとめます。
戦没者遺児記念館構想というんですか、何かそういう構想があるというふうに思うわけです。そういたしますと、この厚生省の構想による事業といいますか記念館、そこでやる資料の収集とか展示とかの事業と今度のこの法律によってやろうとする平和祈念事業、同じような性格のものが重複するような感じもあるわけでありますけれども、この点はどうされるおつもりなんでしょうか。まず厚生省の方から伺いたい。
ただいま厚生省の方から御答弁もございましたが、私どもの考えておりますそういう展示の方法と厚生省の構想でございます遺児記念館、対象は今御答弁がございましたとおりに若干違うということではございますが、確かにこれまたおっしゃられましたように似ている点も非常にあるわけでございます。
私どもの構想として持っております戦没者遺児記念館は、戦没者遺児に対する慰藉を主たる目的としているものでございます。一方、平和祈念事業特別基金は主としてシベリア抑留者、恩給欠格者、在外財産喪失者に対する慰藉に重点を置いているものと理解しておりますので、目的が異なるものと基本的に考えております。
○平野政府委員 お話しのとおり、現在厚生省におきましては戦没者の遺児記念館、これはもちろん仮称かと思いますけれども、その構想が検討が進んでいるというふうに伺っております。
○田口委員 次に、これはちょっと本法案から直接には離れますけれども、厚生大臣の私的諮問機関であります戦没者遺児記念館に関する懇談会の中間報告というものが六十二年の十二月に出されているわけですね。これは戦没者遺児を初めとする国民の労苦の風化を防ぎ、戦争の歴史を客観的、具体的に後世代に伝え、平和を祈念することを目的とする戦没者遺児記念館の設置が提言をされておるわけです。
○森本委員 時間が参りましたので、遺児記念館についてはぜひ平和への記念館であっていただきたいことをお願い申し上げますと同時に、最後に厚生大臣に私の要望としてお願いをしておきたいわけでございます。 永住帰国をしていた中国の元日本兵の方が一たん五十八年に日本へ帰ったわけでございますけれども、そのまま今度は中国へ帰って、そして亡くなった。
私もおやじを戦争で亡くした一人でございますので、この遺児記念館をぜひ建てて、しかもこの建物が今後世界平和のために貢献できるような建物であっていただきたい、今一日千秋の思いでおるわけでございますけれども、遺児記念館構想について大臣にお伺いしたいと思うわけでございます。
どうか、だれもが本当に反戦、平和を考えることのできる記念館なればこそ、私は遺児記念館だというふうに思う次第でございます。 援護局の方への質問は以上で終えさせていただきます。大変急いでの質問ばかりでございましたけれども。 それから年金局長、わずかの時間しか残っておりませんでして、今までお待ちいただきまして申しわけございませんでした。
大戦で父親を亡くされまして、一方、終戦直後恩給停止というような事情があって、大変苦労された遺児の方々から、要するに国の慰謝を求める運動が昭和五十四年ごろ盛り上がったわけでございますが、日本遺族会はこの運動を受けとめまして、要するに社会情勢等をお考えになってこの運動を昇華させて、遺児が経験した苦労を再び繰り返さないように、具体的に言えば再び戦争が起こらないように、平和を願う気持ちを何かあらわすために遺児記念館
それから、この数年間、平和祈念総合センターの基本的な問題の調査を遺族会に託してこられましたが、私も遺児の一人でございまして、遺児記念館を建てるというふうな話を伺い、今日まで期待してきたわけですけれども、この平和祈念総合センター、スタートは遺児記念館というふうな形でスタートしているんだと思いますが、今日までの経過を御説明いただきたいと思います。
○熊代説明員 戦没者遺児記念館の構想に関する御質問でございますけれども、昭和五十四年ころから、今次大戦で父親を失いました遺児の間で、父親を亡くしまして大変に困難な状況に置かれた、しかも昭和二十一年から二十八年までは遺族扶助料、つまり軍人恩給がストップされたということでございまして、非常に教育が必要な時期に十分な教育も受けられなかったりして、特に戦争によって厳しい被害をこうむっているのではないか、そういうことで
○政府委員(入江慧君) 遺児記念館の問題でございますけれども、昨年十月日本遺族会の方からただいまお話のありましたように平和祈念総合センターという形で基本構想をいただきました。